またも悲しい児童虐待のニュースに今、日本中の皆さんが悲しみに胸が張り裂ける思いでいる事と思います。
東京目黒区で、わずか5歳の女児の船戸結愛(ゆあ)ちゃんを両親が虐待し、衰弱させ死に至らせるという目もそむけたくなるような悲痛な事件が今年の3月に起きました。
すでに逮捕されているのは継父である船戸雄大容疑者(当時33)と、実母の優里容疑者(当時25)。
この二人、何故このような非道なおこないができたのでしょうか。
今回は『船戸結愛(ゆあちゃん)のノート・手紙の全文紹介!儚い願いに涙!』と題して両親の顔画像、事件の概要、両親の事などもお伝えしていきます。
目次
船戸結愛(ゆあちゃん)が犠牲となった児虐待死事件の概要
いたましい事件の概要はこうです。
継父の船戸雄大(33)は2月末ごろ、目黒区東が丘のアパートで長女で5歳の結愛ちゃんの顔を殴るなどしてけがをさせた疑い。
東京・目黒区で、5歳の女の子が死亡し、父親がケガをさせたとして逮捕・起訴された事件で、警視庁は衰弱した女の子を放置し死亡させたなどとして両親を逮捕した。
保護責任者遺棄致死の疑いで逮捕されたのは、無職の船戸優里容疑者と夫の雄大容疑者。
警視庁によると、2人は今年1月から3月にかけ、自宅アパートで、雄大容疑者の暴行によって衰弱していた5歳の長女・結愛ちゃんを放置し、死亡させた疑いが持たれている。
聞くだけでも本当に痛ましい事件です。
そもそも結愛ちゃんに対する虐待は、今年の2月から行われた訳ではありません。
ここで事件の時系列を以下に紹介します。
- 2016年9月に夫婦の間に長男が誕生した頃から虐待が始まる
- 2016年12月、17年3月、結愛ちゃんは当時暮らしていた香川県善通寺市で外に長時間の間放置され、偶然通りかかった警官が発見、児相に一時保護された。この時、船戸雄大容疑者は『しつけの一環で手をあげた』と述べた。この時、県警も船戸容疑者を二度、傷害容疑で書類送検(不起訴)していた。
- 17年7月に結愛ちゃんが自宅に戻る。
- 18年1月末 一家は目黒区に転居(先に転居した船戸雄大容疑者の元へ妻子が転居)、この時、2年前から虐待を把握していた香川県の児童相談所と、転居先を管轄する品川児相の間で虐待情報も引き継がれたが、品川児相は『虐待のリスクは高くない』と判断、結愛ちゃんの安否を確認せず、転居から死亡までの約40日間、結愛ちゃんの姿を一度も確認していなかった。
- 18年2月9日、品川児相職員訪問の際も、結愛ちゃんに会うことはできなかった。
- 18年2月20日、小学校入学説明会のために、関係職員が自宅訪問するも、また結愛ちゃんに会うことはできず。
- 18年3月2日、結愛ちゃんが両親の通報で病院に緊急搬送されたが、その後、死亡を確認。死因は、低栄養状態や免疫力低下で引き起こされた肺炎による敗血症だった。その時、結愛ちゃんの顔や身体には殴られた跡があった。
- 18年3月3日 、船戸雄大容疑者が傷害容疑で逮捕。
- 18年6月6日、船戸雄大容疑者と優里容疑者が保護責任者遺棄致死の疑い逮捕。
このように、長男誕生をきっかけに始まったという、約二年間にも及んだ虐待行為でした。
虐待をおこなった両親とは、いったいどんな夫婦だったのでしょうか?
船戸結愛(ゆあちゃん)の継父にあたる船戸雄大容疑者の詳細情報
引用:http://bodysonic.net/onegaiyurushite
- 名前:船戸雄大(ふなとゆうだい)
- 生年月日:1985年
- 年齢:33歳 ※2019年当時
- 出身地:不明
- 住所:東京都目黒区東が丘1丁目サンハイム好の2F
- 出身高校:不明(学歴不明)
- 結婚:2016年に船戸優里容疑者と結婚
- 仕事:香川県三豊市の冷凍食品会社(2016年4月に入社)
結愛ちゃんに虐待を行う約半年前、2016年4月に優里容疑者と結婚しています。
ここでわかるのは、結愛ちゃんは優里容疑者の前夫との間に出来た子供でしたので、雄大容疑者は継父に当たります。
雄大容疑者は、仕事ではパソコンのシステム関係を担当していたといいます。
元同僚による話によると
『明るく社交的でみんなに好かれる人』
『本人は“手がかかるけど家事を分担して妻を助けていかないと”とうれしそうに話していました』
と表向きは器用に振舞っていたようです。
表向きはいい人を装った、まさに『人で無し』でしたね。
船戸結愛(ゆあちゃん)の実母の優里容疑者の詳細情報
引用:http://sirunoga-hotoke.com/funatoyuri-tokyo/
- 名前:船戸優里(ふなと ゆり)
- 年齢:25歳 ※2019年当時
- 住所:東京都目黒区東が丘1丁目サンハイム好の2F
- 職業:無職
子供に対する虐待行為でもっとも多いケースが『再婚で連れ子に対する虐待』のパターン。
今回もまさにそれですよね。
結愛ちゃんの母親である優里容疑者は逮捕前の取り調べで『自分の立場が危うくなるのを恐れ、夫に従い、虐待を見て見ぬふりをした』と話していたといいます。
コメントでは後悔の気持ちが表れているように思えますが、本当にそうでしょうか?
当時、愛情をかけて育ててきた我が子に対し、虐待を受ける様を間近で見ておりながら母親として何も思う事がなかったのか。
それとも父親の暴力は、船戸優里容疑者にまで及ぶもので、結果的に精神的に洗脳され、正常な思考感覚が麻痺していたのか。
いずれにしても私は優里容疑者の、このコメントに対して非常に強い憤りを感じてしまいます。
当時、結愛ちゃんの食事は、雄大容疑者からの指示のもと、朝はスープ1杯か、昼はお椀に3分の1のお味噌汁をかけたまぜご飯、夜はお椀に半分のご飯しか与えられなかったそうです。
つらかったでしょう。苦しかったでしょうね。
最後はお腹が空き過ぎて、考える力さえも失っていったと思います。
仮にも母親ならば、まともな食事を与えられなかったのなら、わずかな隙を見てこっそりと食べさせてあげることくらいは最低限出来たはずではないでしょうか。
結愛(ゆあちゃん)の悲痛な願いを込めたノート・手紙の全文を紹介
引用:http://sirunoga-hotoke.com/
ママとパパにいわれなくってもしっかりとじぶんからもっともっときょうよりかあしたはできるようにするから
もうおねがい ゆるして ゆるしてください おねがいします
ほんとうにおなじことはしません ゆるして
きのうぜんぜんできてなかったこと これまでまいにちやってきたことをなおす
これまでどんだけあほみたいにあそんだか あそぶってあほみたいだから やめるから
もうぜったいぜったいやらないからね ぜったいやくそくします
あしたのあさは きょうみたいにやるんじゃなくて
もうあしたはぜったいやるんだぞとおもって いっしょうけんめいやって
パパとママにみせるぞというきもちでやるぞ
何度も『ゆるしてください』という言葉に胸が苦しくなります。
両親と長男は同じ部屋に寝ていましたが、結愛ちゃんだけはただ一人、暗く寒い別の部屋に寝かされていたそうです。
まだ5歳の子がですよ?
その部屋で毎朝午前4時頃に一人で起床し、平仮名の練習を義務づけられていたといいます。
朝早く、体力もない結愛ちゃんが眠たい目をこすりながら必死で書いて、なんとかママにパパに認めてもらおうと思い、書き留めていっている情景が伝わってきます。
真冬の寒い時期に自宅のベランダに放置され、脚にしもやけが出来たり、真冬でも部屋に暖房をつけてくれず一人で暗い部屋に放置されたりして、本当に寒かったでしょう。
そんな結愛ちゃんの悲痛な叫びが、ひらがな文字となって切々と表れています。
痛ましい事件に対し児童相談所の無力さが大きく露呈
引用:https://saisin-news.com/hunatoyuri/
報道によりますと、2016年のクリスマスの夜に、当時住んでいた香川県善通寺市の自宅アパート前で、結愛ちゃんはパジャマ姿で裸足のまま、一人で体を震わせていたといいます。
その姿を発見した近所の女性が、見るに見かねて自身の上着をかけて抱きかかえ、背中をさすって温めてくれたそうです。
冬の寒さが本格的な12月の暮れに薄いパジャマと裸足で外に放り出す親の神経が、まず前提として理解ができません。
その方が『おうちに帰ろうか?』と聞くと
『お父さんが怖いから嫌だ』
と答えたので、その方の計らいの元、香川県の児童相談所に連絡、翌日保護したそうです。
結愛ちゃんは香川の児童相談所に保護された際、職員から『施設と自宅とどちらで生活したい』と聞かれ、『施設』と答えたそう。
その後、香川県の児童相談所は児童福祉司が保護者を指導する『指導措置』を平成30年1月に解除したのです。
香川県と東京都の連携の在り方、都側の緊急性や深刻度の受け止め方の問題点が今回のあやまった措置をとったのでしょうね。
縦割り行政による児童相談所と警察との連携のなさ、あともう一歩というところで家庭に踏み込めない法律の不備など、いくつかの問題点があげられています。
救いたかったけれど、救えなかった法律の仕組みやシステム面での限界があったと感じざるを得ません。
児相へ児童虐待への相談件数は、ここ13年間増加の一途をたどり、現場職員は疲弊しきっているようです。
諸外国に比べ、日本は、児童虐待に関する法的な整備が遅れていると聞きますから、こういった基本的な改善をできなければ、同じ悲劇がまた繰り返されるでしょう。
一刻も早く、行政自体がこの結愛ちゃんの事件をきっかけに従来の児童福祉法の改正に動きだしてくれることを切実に願わずにはいられません。
ここに日本の未来の一つがかかっているように感じます。
船戸結愛(ゆあちゃん)のノート・手紙の全文紹介!儚い願いに涙!まとめ
いかがでしたでしょうか?
本文をまとめますと、以下のようになりました。
- 東京・目黒区で、5歳の女の子が死亡し、父親がケガをさせたとして逮捕・起訴された事件で、警視庁は衰弱した女の子を放置し死亡させたなどとして両親を逮捕した
- 継父である船戸雄大容疑者と優里容疑者のプロフィールを紹介
- ノート全文は、なんとかママにパパに認めてもらおうと思い、必死で書き留めていっている情景が伝わり、胸が苦しくなった
- 縦割り行政による児童相談所と警察との連携のなさ、もう一歩、家庭に踏み込めない法律の不備などが今回の事件の原因なのではないか
今後は行政、地域、教育、公安の団結により、このような痛ましい悲劇が起こらないような抜本的な改善への取り組みが行われる事を願います。
それでは、記事を最後まで読んで下さり、ありがとうございました。
最近この手の犯罪が多く報道される。昔からあったのだろうか?ただ報道されなかっただけなのか? 原因を考察すると離婚と比例している気がする。1/3が離婚する時代。昔は血のつながりがなくても大事に育てた気がするが。それとも核家族化が問題なのだろうか。思案ではあるが児童相談所に特別司法警察権を持たせるべきと考える。裁判所の許可があれば強制捜査ができる。それと保育園の新設・保育士の給料増額が急がれる。人は給料の高い職場に流れる。公務員なみの報酬が必要だ。韓国では出生率が1まで下がった。夫婦2名で子1名では人口が半数になる。内需は減り年金制度は破綻する。国が滅びる。まず長年の課題の待機児童の解消。「japan」世界中からブランドと認識されている。政治の話はしたくないが、私見として野党が腐っている。反対ばかりで代案をなぜ出さない。1100億の負債の他の国家がどこにある。天下りばかり考える役人こそ腐っている。
この記事の中で特筆すべきは、3歳か4歳の頃に”施設と家とどちらがいい?”と聞かれ”施設”と答えていることです。その部分の認識の甘さが普通の生活を送って来た人間には理解が及ばないでしょう。
私も冬のマイナス気温の中に下着と裸足で”しつけ”という名の虐待と家に帰ると板の間に一時間、目を閉じて正座をさせられていました。
動くと、怪我をしても表面に見えない場所を叩く。
父は仕事上長期的に不在していました。母親が虐待をしていたのは気がついていましたが父の在宅中は母親も控えていました。ですが誰かに言うともっと面倒になると思って”言わなかった”のではなく誰にも”言えません”でした。そして、やはり母親は外面が良かったです。そして、何度も言われたので忘れたくても忘れられない言葉があります。
私に”子が親を殺すのと、親が子を殺すのと、どちらの罪が重いか知っているか?””親を殺す方だ””もし、お前を殺しても、また産めばいい”
私は自分は大丈夫と思えず子どもを産めませんでした。母親は私のことを”反抗期のない育てやすい子どもだった”と言っていました。
当時の私も家出をした時に、施設に入れてください、と言いました。
社会がどう、とか政治がどう、とか、親になる資質があるかどうか、そういうのがあるのならば、そこから始めて欲しい。子どもをむやみに叩かない、薄着で夜に外に放置しない。この際、美味しくなくてもいいです、最低限、食べさせてあげてください。自分で育てられないなら、あなたを恨まないから施設に入れてください。
子どもに会わせてもらえなかったと言った区役所職員。あなたも殺害をした一味です。会えるまで帰るな!今は、そうしておけば良かったと思っていますよね?会わさない、会わせられない理由があるからです。気がついていたはずです。あのなくなった子に、おそらく、あなたの声が聞こえていましたよ。
上記のコメントをしたいわきです。
一番上の行に3歳と4歳…の部分は
“3歳か4歳と思われる頃に”こちらに訂正していただければ幸いです。
>>あそぶってあほみたいだから
あそびをせんとやうまれけむ
きみだってあそんだだろうが
こどもがそんなやくそく
まもれるかよ
自分は虐待というか親父が酒乱で暴れて引っ叩かれてたり蹴られたり殴られたり首しめられたり、毎日訳の分からない説教されて困っていました。妹もいるのですが暴力はしなかったけど彼女の部屋のドアを怒って壊したりとか、とにかく酷かった。
しかし親父は56の時大酒飲みがたたってくも膜下で倒れてしまいました。まさに天罰といった感じでしょうか。
船戸雄大も刑務所でさまざまな天罰が起こることを期待しています。