今回紹介する米津玄師さんのゆめうつつはCD「Pale Blue」の2曲目に収録されている曲です。
「news zero」のテーマソングとして書き下ろされた曲なので、歌詞の意味が報道番組にマッチした内容となっていました。
歌詞は意味が深いので、とても高く評価されていてSNSでも様々な感想が飛び交っています。
CDは既に発売されているのですが、米津玄師さんの公式Youtubeチャンネルを確認したところ、まだゆめうつつのPVは公開されていないようです。
米津玄師さんはインタビューで「夢と現実の間を反復する曲にしたい」と語っていましたがいったい歌詞にどんな意味が込められているのでしょうか?
今回は歌詞を詳しく考察していくのでぜひ最後までご覧ください。
目次
人に安らぎを感じてほしい曲
歌詞の意味を言ってしまうと、全体的には人に安らぎを感じてほしいと願う優しい歌だと感じました。
しかし、歌詞の意味が深く一言では言い表せませんので、これから細かく考察していきましょう。
理想と現実のギャップ
夢の続きを いつまでも探してた
あまねく町の側で 揺蕩う路地裏
広告を携えて 飛び立つ紙飛行機
何処まで飛んで行くんだろう
始めに「夢の続きを いつまでも探してた」という歌詞から始まります。
みなさんは「もっとこんな世界だったらいいのに」と思い描いたことはありませんか。
筆者は、よく考えます。
例えば、生きていくためには動物の生命を犠牲にしなければなりません。
そもそも、そういった悲しいことをしなくても生きていける世界だったらいいのにとか。
人を傷つけるという概念自体なくなればいいのにとか…。
どんなに理想を思い描いても、現実では難しいことですが、人はついつい理想を追い続けてしまうそういうことをこの一文で表しているのでしょう。
もちろん、現実でも楽しいことやうれしいことはありますが、闇があるのも事実です。
歌詞にでてくる「あまねく町」は現実の明るい部分「揺蕩う(たゆたう)路地裏」は現実の闇の部分を表しているのではないかと考察しました。
揺蕩う(たゆたう)は、気持ちが定まらずためらっている状態を指します。
そして、路地裏ってなんとなく暗いイメージですよね。
気持ちが不安定な暗い場所=現実社会の闇だと考察しました。
そのあとに続く歌詞が「広告を携えて 飛び立つ紙飛行機」
携える(たずさえる)とは、持つという意味ですので、ニュースを持って飛んでいく紙飛行機。
つまり現代で言うSNSやテレビ等を示しているのでしょう。
悲しさが興味をひくのはなぜ?
虚しさばっかり 見つめ続けるのは
誰かの痛みに気づきたかった ひたすら
何かを得れば何かが 目の前を通り過ぎる
さよならまた会えるかな
生活をしていると、毎日のように目を背けたくなるような悲しいニュースを目にしますよね。
しかし、そんなニュースはとても目を引きやすく、ついついニュースの詳細を見てしまいます。
「それはなぜなのか」なんて考えたことはありますか?
筆者はこの歌詞に出逢うまで考えたことなどありませんでした。
なぜなら、興味というのは自然に出てくるものだからです。
自分が興味を持つ理由なんて、なかなか考えないですよね。
この歌詞では、その理由を誰かの痛みに気づきたかったと表しています。
なるほど、そんな優しい表現の仕方、理由の考え方があるんですね。
私たちが普段考えないような部分に着目されていて、関心させられる歌詞です。
注目されていたニュースも、情報が新しいうちは世間に注目を浴び、人々の心を動かすでしょう。
しかし時間がたってしまえば、新しい情報が注目されます。
古い情報は目まぐるしい日常の中で自然と忘れ去られていくのが現実。
まさに、歌詞の中にある「何かを得れば何かが 目の前を通り過ぎる」は、こういう内容を表しているのでしょう。
その後につづく「さよならまた会えるかな」からは、情報が忘れられてしまう寂しさを感じます。
心の傷はいつか癒える
背中合わせの旅は まだ続いてく
誰も知り得ない傷が 癒えずに増える
どうせいつかは 風に溶け消える
ならば今夜くらいは
「背中合わせ」とは、夢と現実が背中合わせになっている状態を示すと考えました。
夢を思い描いたかと思えば、現実に直面してしまう。
私たちはそんな日常を過ごしていますよね。
そして、現実では悲しいニュースが増えていくのと比例して傷ついている人はどんどん増えていきます。
しかし、情報が古くなるとみんな忘れてしまいます。
「誰も知り得ない傷が 癒えずに増える」は、みんなが忘れたあとも、傷は残ったままだよと表現しているのでしょう。
でも、傷ついた人のつらい気持ちはいつまでも続くものではないよ、ならば今夜くらいは…と続きます。
夢と現実の反復
羽が生えるような身軽さが 君に宿り続けますように
むくれ顔の蛇も気づきはしない 日々の隙間でおやすみ
君が安らかな夢の中 眠り続けられますように
あんな姿じゃいられない
子供みたいなまま遊び疲れてそれじゃ また明日
歌詞の中の「むくれ顔の蛇」はなにを表しているのでしょうか。
蛇は、まず良いイメージがありませんので苦痛な存在を表しているのだと思います。
むくれるとは怒ってムッとすることです。
苦痛な存在が、ムッとする…考えただけで嫌になりますよね。
例えるなら、会社にいけば必ずといっていいほど嫌いな上司がいるでしょう。
ここではそういう存在を表しているのです。
そんな存在が気づきもしない場所で、あなたがゆっくりできますようにと願っている優しい歌詞ですね。
「あんな姿じゃいられない」とは社会に対して優等生ではいられないと解釈しました。
ありのままの姿で子供みたいに遊び疲れるまで安らかな時間を過ごせますようにと言っているのでしょう。
そして最後の「また明日」これが夢と現実の反復を表しています。
そんな夢のような時間もいつかは終わってしまい、また日常が来てしまうということでしょう。
注目される情報と捨てられる情報
間抜けな惑星に 住み着いた羊の群れ
風と花と鳥に開かれた 瀟洒な宇宙船
何かを探し何かを 見捨てるアドバルーン
わたしは何処にいるんだろう
この部分は難しい表現がもっとも多く使用されています。
また、「花鳥風月」というワードが隠されているので考察してみるとおもしろいですよ。
それでは考察していきましょう。
まず「間抜けな惑星」と「羊の群れ」というワード。
これは惑星が現実で、羊が迷っている人間を表しています。
うまくいかないことばかりの現実社会に住んでいて迷っている私たちという意味でしょう。
続く歌詞が「風と花と鳥に開かれた 瀟洒な宇宙船」
私たちは、風、花、鳥を日常でよく見ます。
このことからここの部分は現実を意味していると考えました。
瀟洒(しょうしゃ)とはしゃれている、垢抜けているという意味です。
先ほどの「間抜けな」とは正反対の意味ですね。
瀟洒な宇宙船とは、花鳥風月の「月」の部分、つまり現実とかけ離れた夢を表しています。
また、普通であれば「花鳥風月」の順番で歌詞を書きそうですが、歌詞を見てみると「風、花、鳥、月」になっています。
なぜこのような並び順なのでしょうか。
これはひとつの考え方ですが現実社会の複雑さを表しているようにも受け取れますね。
その後に続くアドバルーンとは広告気球のことです。
広告というのは現実で起こっている事柄を示すと考えました。
どんなことが起こっていても、注目されるかされないかは選ぶ人次第ですよね。
もし選ばれずニュースにならなかったとしても、それを体験している人は必ず存在しているのです。
「何かを探し何かを 見捨てる」という部分ではこういうことを表現していると考えました。
ここの解釈はちょっと難しいですが、様々なパターンの考え方ができる面白い部分でもあります。
夢は誰かの心地よさへと繋がる
眩い光に絶えず 誘われている
零れ落ちた羊は まだ夢をみる
どうせわたしも 風になり消える
ならば今夜くらいは
「眩い光に絶えず 誘われている」は夢に誘われていることを示し、「零れ落ちた羊」は、心の余裕がなくなりいっぱいいっぱいになった人間を示していると考察しました。
「まだ夢をみる」というのは、いつまでも夢を見ていたいという気持ちを表しているのでしょう。
声が出せるような喜びが 君に宿り続けますように
革命家の野次も届きはしない 夜の淵で踊りましょう
君が望むならその歌は 誰かの夢に繋がるだろう
あんな人には解らない
物語の裏 隠れたままそれじゃ また明日
自分の意見を我慢して押し殺しすような場面が現実ではたくさんあります。
しかし、夢では思ったことを押し殺さずに発言することができるでしょう。
そんな心地よさがあなたに宿り続けますように、論争が起きない世界で楽しく踊りましょうと言っています。
「君が望むならその歌は誰かの夢に繋がるだろう」は夢を思い描いたとしても実現は難しい。
しかし、夢を語ることができればまた別の人の夢(安らぎの時間)につなぐことができるだろうと考察しました。
「あんな人に解からない 物語の裏 隠れたまま」は苦痛な存在にバレることなく安らぎの時間を楽しむということだと思います。
疲れたら休憩しよう
ゆめうつつで生きていく 一つずつ愛し合う
躊躇わず渡っていく 君の元へ
やるせなくて嫌んなる 面影は遠くなる
疲れたら言ってよ 話をしよう
私たちは夢と現実を繰り返す中で生きている。
夢と現実どちらで起こっていることもひとつずつを愛していくということを表現しています。
夢と現実で起こっている事柄がためらうことなく、あなたの元へ届く。
そんな目まぐるしさに疲れてしまうよね、辛いときは無理をしないでまた安らぎの時間を過ごそうよと言っているんだと思います。
まとめ
歌詞の考察をざっくりまとめると
・理想(夢)と現実はかけ離れている
・人生は夢と現実の反復
・現実の中で安らぎの時間(夢)を過ごせるように願っている
ということを表した歌詞だと解釈しました。
今回の考察はあくまで個人の捉え方ですが、色々な捉え方ができるからこそ歌詞はおもしろいですよね。
最後まで読んでいただきありがとうございました。