七国山病院のモデルは?『となりのトトロ』のお母さんの病気が判明!

子供から大人まで幅広く楽しめるアニメといえば宮崎駿監督の映画『となりのトトロ』ではないでしょうか?

 

1988年の4月に公開されてから約30年の時を経たアニメ作品となっているのですが、人気が衰えることのない普遍的アニメとして、今や日本のみならず世界中に知れ渡っている名作中の名作ですよね!

 

そんなトトロは『都市伝説』として様々な考察が多い映画としても有名なんです!

今回はそんな都市伝説の真相を追及していこう、という事で、まずは【七国山病院とお母さんの病気】をキーワードとして、真相をお調べしてみました。

 

という事でタイトルを『七国山病院のモデルは?『となりのトトロ』のお母さんの病気が解明!』と題し、ご紹介していきたいと思います!

 

では記事本文へどうぞ!


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『となりのトトロ』でのお母さんの病気や病院のモデルが解明!

引用先:https://cinema.ne.jp/recommend/totoro2016110417/

サツキとメイの母親〈草壁靖子くさかべやすこ〉として、『ある病気』で入院しながらも優しく穏やかな存在感を出していたお母さん。

その病名について、都市伝説上では『喘息』や『肺気胸』、『精神病』など本当に様々な病名が話題となっていたんですが、その中でも一番信ぴょう性の高い情報として上がる病名が『結核』だとわかりました。

 

理由は5つ挙げられます。

  1. 『となりのトトロ』の時代設定では当時、結核が大流行していた
  2. お母さんの病気が結核にもかかわらず『症状が重篤ではない』
  3. 『七国山病院』をモデルにした病院が存在する
  4. 宮崎駿監督の母親が結核にかかっていた
  5. 『風立ちぬ』のヒロインも結核を患っている

 

この要因に焦点を当てて、話を進めていきたいと思います。

 

『となりのトトロ』の時代設定では当時、結核が大流行していた

引用先:http://ghibli.jpn.org/trivia/totoro-era/

そもそもこの結核という病気、結核菌という細菌が肺に入り込んで起こる病気らしく、古くはエジプトのピラミッドに埋葬されたミイラの体内からも結核の痕跡が見つかり、紀元前のエジプト文明時代から存在した事がわかっています。

まさに結核は、人類の歴史とともにある古い病気なんですね(;’∀’)

話を戻します。

その結核がじつは『となりのトトロ』が描かれていた時代背景において大流行していたそうなんです。

 

トトロの時代設定がわかる資料としては、ジブリ作品『コクリコ坂から』の映画紹介についてのパンフレット記事文の内容に記載されていたところによる【「となりのトトロ」は1953年を想定して作られた】とありました。

コクリコ坂の映画紹介パンフレットはこちら

 

もともと日本でも結核は明治以降から『国民病』と呼ばれ、先ほどの説明のとおり、となりのトトロの時代設定である1953年(昭和28年)においても、未だ結核が国民病として日本中で猛威を振るっていました。

 

お母さんの病気が死亡率の高い『結核』なのにもかかわらず症状が軽い理由

引用先:http://castleinthesky0021.seesaa.net/article/420355891.html

下のグラフを見てわかる通り、1951年(昭和26年)に『新結核予防法』が制定されて以来、結核に有効な新薬が続々と開発されたこともあり、高い致死率を誇っていた結核による死亡者率もどんどん減少していったんだそうです。

引用先:https://www.jstage.jst.go.jp/

1950年代にかけて、結核は一気に下降線を辿っていることがお分かりになるかと思います。

 

そういった観点から1953年には猛威を振るいながらも、死亡率の高い不治の病ではなくなったことが裏付けられました。

 

サツキとメイがお母さんのお見舞いに行けたのは、結核において先進的な治療が進み、お母さんの症状が改善していた状態であるからと言えますね。

 

お母さんの体調が優れず、一時帰宅できなくなった時の場面を思い出して下さい。

当時結核はまだ”深刻な病”というイメージが定着しているので『もし死んじゃったらどうしよう』というサツキの心配するセリフが、お母さんの病が結核である事を示唆しています。

 

また、映画のエンディングにおいて、病状が快復したお母さんがメイとサツキの元へ帰る描写がある事も、上記の考察内容からうなずける点だと思います。

 


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お母さんが病気の為、入院した七国山病院のモデルとなった病院とは?

引用先:https://twitter.com/hashtag/

本編内容では、サツキとメイのお母さんが七国山病院という場所に入院していますが、その詳しい場所などがわかる内容は語られていませんでした。

 

実はこの七国山病院にはちゃんとしたモデルがありました。

場所は東京都東村山市にある『新山手病院』『都立白十字病院』という2つの病院です。

 

引用先:https://trip-s.world/maniac-giburi

新山手病院と都立白十字病院は『八国山緑地』という多摩湖や挾山湖にが近くに面した、緑美しい都立公園のちょうど南側に位置します。

 

八国山緑地は当時、結核専門の療養所があることで非常に有名な場所でした。※サナトリウムとも言います。

 

その病院が現在の『新山手病院』と『都立白十字病院』の2つであり、1938年に財団法人結核予防会によって作られたそうです。

引用先:http://www.sayamaparks.com/hachikokuyama/

引用先:https://www.e-aidem.com/shain/01_A71221215393_detail.htm

設立当時は、新薬や化学療法での治療が存在しなかった為、感染を防ぐために患者を隔離した上で静養・療養という形を取っていたんだそうです。

 

今現在も総合病院として両方とも機能し、結核治療にも力を傾けているそうですよ。

 

宮崎駿監督の母親は結核にかかっていた

引用先:http://blogos.com/article/158136/

となりのトトロの生みの親であるアニメ界の巨匠・宮崎駿監督。

その監督自身も、じつは結核について深い関係があった事がわかりました。

2008年に放送されたNHKの『プロフェッショナルスペシャル』で放映されていた内容でその理由を知る事ができます。

番組内では、宮崎駿監督の母親についてのエピソードとして語られた場面がありました。

 

それによると、宮崎駿監督の幼少期に、母親である宮崎美子さんが重い結核に感染していたそうなんです。

引用先:http://hikarision.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/post_28ee.html

その症状はひどく、脊髄にまで菌が及んでいた為、甘えたい年頃の時におんぶや抱っこをしてもらえず、母親はその申し訳なさから、涙を流していたという内容でした。

 

そうした監督の観点からメイとサツキのお母さんを重ねてみると、当時監督が母親にしてもらう事の出来なかった部分が絵となって表現されているような気がしてなりません。

 

『風立ちぬ』のヒロインも結核を患っている

引用先:http://benio25250.hatenablog.com/?page=1425227417

宮崎駿監督の作品にはもう一人結核に悩まされる人物がいます。

それが、映画『風立ちぬ』で結核で母親を亡くし、自身も結核にかかっているヒロイン・里見菜穂子がそうです。

 

里見菜穂子は主人公の堀越二郎と愛し合っているものの、自らの病気の為、結婚生活は送ることが出来ず、静かな山奥にある結核療養所にひとり行ったのでした。

 

このように『となりのトトロ』でのサツキとメイのお母さん、『風立ちぬ』の二郎の妻の菜穂子。

この二人が結核という病気に触れることで監督が幼少期に感じた母親への思い、また生きる為の『生』への執着が強く感じられてくるようです。

 

 

七国山病院のモデルは?『となりのトトロ』のお母さんの病気が解明!まとめ

引用先:https://kinro.jointv.jp/lineup/20180817

今回の一連の疑問について、いかがでしたでしょうか?

本文をまとめますと、以下のようになりました。

  1. 『となりのトトロ』でのお母さんの病気や病院のモデルが解明!
  2. 『となりのトトロ』の時代設定では当時、結核が大流行していた
  3. お母さんの病気が死亡率の高い『結核』なのにもかかわらず症状が軽い理由
  4. お母さんが病気の為、入院した七国山病院のモデルとなった病院とは?
  5. 宮崎駿監督の母親は結核にかかっていた
  6. 『風立ちぬ』のヒロインも結核を患っている

 

ということで、今後もお役に立てる情報をドンドンご紹介していきたいと思います!

記事を最後まで読んで下さり、ありがとうございました。


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