デヴィ夫人の若い頃の写真は?大統領との出会いは?壮絶すぎる人生だった…!

デヴィ夫人アイキャッチ

デヴィ夫人といえば、
若い頃の写真が話題になるほど美しいという印象を持つ人が多いと思います。

世界の果てまでイッテQ!でもお馴染みの明るく元気な夫人ですが、
若い頃は考えられないほど壮絶な人生を送っていたようです。

そんな壮絶すぎる夫人の半生を写真とともに振り返っていきましょう。

プロフィール

若いころのデヴィ夫人

  • 名前:ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ(旧名:根本七保子(ネモトナオコ))
  • 生年月日:1940年(昭和15年)2月6日
  • 星座:みずがめ座
  • 血液型:A型
  • 身長:159cm
  • 出身地:東京都港区西麻布

ハーフに間違われるそうですが、
日本人の両親の元に生まれた純日本人です。

テレビ番組でも歯に衣着せぬ物言いで引っ張りだこの夫人ですが、
基本的にどんな出演依頼でもNOという事はないのだとか。

そんな夫人は、2021年でなんと「81歳」になりました。
若い頃から今までずっと美しくあり続ける夫人に、
流石としか言いようがありません。

これからの活躍にも期待大ですね。

現代版シンデレラ「東洋の真珠」が送った壮絶な半生

お金持ちのイメージが強い夫人ですが、
貧しい家庭で生まれ育ったようです。

中学卒業後は、家計と弟の大学進学のために、
高校へ通いながら千代田生命保険(現:ジブラルタ生命保険)で働いてました。

昼休みや休日にも喫茶店などでアルバイトをしていたようで、
多忙な毎日を送っていました。

夫人は大工の棟梁であったお父様が亡くなったことにより、
高校を中退します。

17歳の時、
偶然連れられて行った高級クラブ「コパカバーナ」で
オーナーから気に入られ、働き始めます。

すると、夫人は持ち前の美貌と頭の良さで
瞬く間に人気となりました。

働く理由として収入はもちろん、
来る人はみんなお金持ちかつ97%が外国人である環境で、
英語の教養も身につけられると思っていたそうです。

スカルノ大統領との出会い

スカルノ大統領とデヴィ夫人

そんな夫人に19歳の時、転機が訪れます。

夫人が映画を観るために待ち合わせをしていた所、
偶然プライベートで日本を訪れたスカルノ大統領が声をかけたのです。

夫人の聡明さも相まってか、
最終的にはインドネシアに移り住み、
大統領の第三夫人になりました。

ここから順風満帆な人生を送るかと思われましたが、
スカルノ大統領の死によって幸せな結婚生活は幕を閉じます。

家族の死、クーデターからの亡命、遺産や娘との確執、壮絶すぎる数々のエピソード

デヴィ夫人と娘のカリナさん

結婚生活の最中、
夫人の母と弟が続けて亡くなってしまいます。
これには夫人も心を痛め、トラウマになっているようです。

そしてインドネシアで1965年に起きたクーデターによって、
1967年に大統領は失脚し、
夫人はパリへ亡命することになりました。

そんな中、亡命中に大統領が亡くなってしまい、
夫人は幼い娘と2人きりになってしまいます。

愛する大統領の死後、
政府によって相続していた財産なども
奪い取られてしまった夫人の経済的な不安は計り知れません。

それでも夫人は心を持ち直し、折れる事なく行動を続けます。

娘カリナをパリに残し、
インドネシアに移住した夫人は
自らの力で会社を興し、大成功を収めます

ただ娘カリナは夫人のことを良く思っていなかったようで、
母と娘の間には確執があったようです。

しかし孫のキラン君が生まれると、
関係が回復し、今では幸せな家庭を築いているそうです。

2017年頃にもお金に関する問題に巻き込まれており、
経営する会社の経理担当者が
2億7000万円を横領する事件が起こりました。

夫人自身もこれにはショックだったようですが、
「引き出しの奥にしまおう」と心を切り替えて
前向きに活動しているようです。

まとめ

華やかに見える裏で、
努力なしでは語れない壮絶な人生を送っていた夫人の向上心に
影響される方も多いのではないでしょうか。

80歳を過ぎてもまだまだ活動していく、
強い信念を持ったデヴィ夫人にこれからも注目です!